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オートバイでご来店のお客様!

日々 オートバイでご来店のお客様の愛車を

写真に収めさせて頂いているんですが 

先日 ご来店のお客様のバイクと生き様がカッコイイので

紹介させて頂きます。

愛車はカブと このFTR223

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パット見は そんな派手でも無いんですが

すごい オリジナリテイ溢れる カスタムが色んな所に・・・

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チェンジペダルが右?

皆さん ご存知の通り 今の現行車は 

すべて 左にチェンジペダルがあるはずです。

しかし 右にチェンジペダル

リヤブレーキのペダルはどこに?

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クラッチレバーの上にあるのが リヤブレーキレバー!

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そう あの世界チャンピオン ミック・ドゥーハン仕様?

こちらのライダーさんは、左足に障害をお持ちの方なのです。

かつては、オートバイのスピードに魅せられ無茶をした結果

左足に障害が残ったそうです。

しかし、事故でけがをして入院中もどうしたら また バイクに

乗れるだろうと考え 右でチェンジ 左手でリヤブレーキの

このカスタムを考えたそうです。

バイクに乗り続けようと思う情熱が 半端ない!

バイクの魅力は、スピードだけでは無い 

見栄を張るカスタムでも無い

新たな バイクの楽しみ方を教えて貰いました。

ちなみに カブはハンドチェンジ!

カブC (2) (640x427)
チェンジレバーは、カブのピストンを流用してます。

皆さん安全運転で長くバイクを楽しみましょう!!






 







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[ 2018/06/27 20:34 ] ライダー | TB(0) | CM(0)

応援しましょう!

昨年 全日本 GP-3でチャンピオンを取った

徳留真紀 選手が、今年からGP-2に参戦するそうです。

どちらかと言うとベテランの域に入った 徳留選手が

世界を視野に入れて新しいカテゴリーに挑戦するそうです。

これは、すごい事ですよ~

徳留

ちょっと縁があって店に応援ポスターを貼って

応援することにしました!

徳留 (2)

応援ステッカーも販売しているので 興味がある方は

フェイスブックもフォローして 是非 皆で応援しましょう!

https://www.facebook.com/Masaki-Tokudome-%E5%BE%B3%E7%95%99%E7%9C%9F%E7%B4%80-433518590087867/

[ 2017/03/21 20:18 ] ライダー | TB(0) | CM(0)

ピノキオ坊や

ケビン・シュワンツ

1993年WGP500ccチャンピオン。ニックネームは
フライング・テキサン。

300px-Kevin_Schwantz_1993_JapanGP.jpg

 

生涯のライバルはウェイン・レイニー、AMAスーパーバイク選手権時代から
激しいライバル関係が始まった。
1988年より、WGP500ccクラスにフル参戦。
1戦日本GPでは、前年チャンピオンのワイン・ガードナーと激しいトップ争い
を展開し、劇的な初優勝を遂げる。

シュワンツは当初、速さこそ見せるが転倒やマシントラブルによるリタイヤも
多く、
1989年シーズンはタイトルを獲得したエディ・ローソンを上回る最多の
6勝をマークするも、同数のリタイアを喫し、ランキングは4位に留まった。
ヤマハのウェイン・レイニーとは
1989年日本GP1991年ドイツGP1993
日本
GPなど多くのレースで接戦を演じた。

1993年、シュワンツは手堅いレース運びを身につけポイント争いをリードした
が、終盤戦レイニーに逆転を許す。しかし、第
12戦イタリアGP決勝中、そのレ
イニーが転倒により選手生命を絶たれてしまう重傷を負い、引退。シュワンツ
は順調にポイントを重ね、ポイントでレイニーを再逆転、念願のタイトルを獲得
する。だがレイニーをサーキット上で打ち負かし、勝利することを目標としてき
たシュワンツは

「彼の怪我が治るならチャンピオンなんかいらない。」

と発言し、初のタイトルを獲得した喜びよりもライバルを失った落胆の気持ち
を表し、この言葉に多くのファンが賛同した。

1994年は、左手首の怪我という身体のダメージと、最大のライバル、レイニー
を失った心のダメージに苦しんだ。

1995年は第3戦日本GPを最後に欠場した後、第6戦イタリアGPにて引退を
表明(日本
GPからの帰途の飛行機内で、レイニーとの話し合いの末、引退を
決意したという)。このとき負傷していた左手首を眺めて目を潤ませながらも、
どこか重圧から開放されたような清清しい姿を見せた。

年間チャンピオン獲得数は勝利数の割には少なく
1回であるが、そのスリリ
ングな走りで圧倒的な歓声を浴び、
88年から94年まで人気No.1レーサーで
あり続けた。





しかし、2013年鈴鹿の8時間耐久レースにチームカガヤマから参戦。全盛期
のスピードはなかったもののベストラップはチームの
2人から2秒程しか落ちて
おらず、伝説のライダーとしての実力をいかんなく発揮。このレースチームは
3位表彰台を獲得している。

2014年は、ヨシムラドリームチームで参戦し、スーパーラップを出しファンの
期待が高まったが、本番ではチームのリタイヤで鈴鹿を走る雄姿を見ることは出来なかった。
レジェンド[伝説]として語り継がれるだけでなく、いまだに彼は、
「スピードジャンキー」「ピノキオ坊や」だった。


[ 2015/01/09 09:17 ] ライダー | TB(0) | CM(0)

ミスター100%

ウェイン・レイニー

1980年代末から1990年代初めにかけて最も成功したライダーの1人。
19901992年のロードレース世界選手権(WGP500ccチャンピオン

       250px-Wayne_Rainey_1992_Japanese_GP.jpg

最大のライバルはケビン・シュワンツ、この2人が繰り広げたバトルは、
1989年日本GPが有名だ。

またシュワンツが、特に初期をはじめ「優勝か転倒」と形容されるスリリングな
走りであったのに対し、レイニーは優勝以外のレースでも
2位や3位に入り、
ポイントを稼いでいた。これらから、しばしば「優勝レースがつまらない」・
「堅実」と捉えられ、シュワンツより地味な印象を持たれがちだが、後輪を
大胆にスライドさせる力強いライディングは、速さと安定感が高次元で両立
したものであった。

特に全盛期には、圧倒的に思える差で独走していても、流さず終盤まで全力
での走行を行っていた。そのプロフェッショナル精神、全力を貫くスタイルは、
ミスター100%または120%レイニーと形容され、多くのファンを
魅了した。

スリリングなレース展開で熱狂的なファンが多くいたライバルのシュワンツに
ついて
開発スタッフに漏らしたぼやき

「僕のほうが勝っているのに、
           なんであいつの人気が上なんだ
!

アクシデント

1993年ランキングトップで向かえた第12戦イタリアGP。ミザノはレイニーの
得意とするコースであり、
3周目にトップを奪い、そのまま差を拡げていた。
しかし、
11周目に高速コーナーで転倒。マシンから放り出され頭部からグラ
ベルに落下、第六頚椎損傷の重症を負いリタイヤ

レイニーの言葉

「僕は頂点に登り詰めたけど、好きだったスポーツで
     (半身)不随になった。でも潮時だったってことさ」

その後、チームレイニーを立ち上げ、多くのグランプリライダーを育て、現在のモトGPの発展に貢献したライダーの一人 いまでもTV画面にたまに登場するので元気な姿を確認できます。





ブログタイトル変更しました。 B&Cボルドール 今後共宜しくお願いします。
[ 2015/01/08 09:23 ] ライダー | TB(0) | CM(0)

ワイルドでいこうぜ

ワイルドでいこうぜ岩城滉一

 

L.A.―N.Y.バイク6500キロの旅 岩城がハーレーで走る。

風ヘ空ヘ大地へ

20年来のを賭けてバイクとアメリカ大陸に魅せられた男の

サバイバル・ドキュメント

     PC064284.jpg   PC064283.jpg

巻末に「岩城・語録」があります。

一部抜粋

「女よりレースが好きかって? そういう次元じゃないんだよな。

 同じ乗り物だったら、オートバイ乗りたいか、三輪車乗りたいか、

  車乗りてえか、
飛行機乗りてえか、船乗りてえか、女乗りてえか、

  っていうところ」

 

オートバイが好きな有名人は多いけど ここまで貫く生き方は、

好感が持てます


                       PC064285.jpg    
[ 2014/12/08 09:37 ] ライダー | TB(0) | CM(0)