ケビン・シュワンツ
1993年WGP500ccチャンピオン。ニックネームは
フライング・テキサン。

生涯のライバルはウェイン・レイニー、AMAスーパーバイク選手権時代から
激しいライバル関係が始まった。1988年より、WGP500ccクラスにフル参戦。
第1戦日本GPでは、前年チャンピオンのワイン・ガードナーと激しいトップ争い
を展開し、劇的な初優勝を遂げる。
シュワンツは当初、速さこそ見せるが転倒やマシントラブルによるリタイヤも
多く、1989年シーズンはタイトルを獲得したエディ・ローソンを上回る最多の
6勝をマークするも、同数のリタイアを喫し、ランキングは4位に留まった。
ヤマハのウェイン・レイニーとは1989年日本GP、1991年ドイツGP、1993年
日本GPなど多くのレースで接戦を演じた。
1993年、シュワンツは手堅いレース運びを身につけポイント争いをリードした
が、終盤戦レイニーに逆転を許す。しかし、第12戦イタリアGP決勝中、そのレ
イニーが転倒により選手生命を絶たれてしまう重傷を負い、引退。シュワンツ
は順調にポイントを重ね、ポイントでレイニーを再逆転、念願のタイトルを獲得
する。だがレイニーをサーキット上で打ち負かし、勝利することを目標としてき
たシュワンツは
「彼の怪我が治るならチャンピオンなんかいらない。」
と発言し、初のタイトルを獲得した喜びよりもライバルを失った落胆の気持ち
を表し、この言葉に多くのファンが賛同した。
1994年は、左手首の怪我という身体のダメージと、最大のライバル、レイニー
を失った心のダメージに苦しんだ。
1995年は第3戦日本GPを最後に欠場した後、第6戦イタリアGPにて引退を
表明(日本GPからの帰途の飛行機内で、レイニーとの話し合いの末、引退を
決意したという)。このとき負傷していた左手首を眺めて目を潤ませながらも、
どこか重圧から開放されたような清清しい姿を見せた。
年間チャンピオン獲得数は勝利数の割には少なく1回であるが、そのスリリ
ングな走りで圧倒的な歓声を浴び、88年から94年まで人気No.1レーサーで
あり続けた。
しかし、2013年鈴鹿の8時間耐久レースにチームカガヤマから参戦。全盛期
のスピードはなかったもののベストラップはチームの2人から2秒程しか落ちて
おらず、伝説のライダーとしての実力をいかんなく発揮。このレースチームは
3位表彰台を獲得している。
2014年は、ヨシムラドリームチームで参戦し、スーパーラップを出しファンの
期待が高まったが、本番ではチームのリタイヤで鈴鹿を走る雄姿を見ることは出来なかった。レジェンド[伝説]として語り継がれるだけでなく、いまだに彼は、
「スピードジャンキー」の「ピノキオ坊や」だった。
ウェイン・レイニー
1980年代末から1990年代初めにかけて最も成功したライダーの1人。
1990~1992年のロードレース世界選手権(WGP)500ccチャンピオン
最大のライバルはケビン・シュワンツ、この2人が繰り広げたバトルは、
1989年日本GPが有名だ。
またシュワンツが、特に初期をはじめ「優勝か転倒」と形容されるスリリングな
走りであったのに対し、レイニーは優勝以外のレースでも2位や3位に入り、
ポイントを稼いでいた。これらから、しばしば「優勝レースがつまらない」・
「堅実」と捉えられ、シュワンツより地味な印象を持たれがちだが、後輪を
大胆にスライドさせる力強いライディングは、速さと安定感が高次元で両立
したものであった。
特に全盛期には、圧倒的に思える差で独走していても、流さず終盤まで全力
での走行を行っていた。そのプロフェッショナル精神、全力を貫くスタイルは、
「ミスター100%」または「120%レイニー」と形容され、多くのファンを
魅了した。
スリリングなレース展開で熱狂的なファンが多くいたライバルのシュワンツに
ついて開発スタッフに漏らしたぼやき
「僕のほうが勝っているのに、
なんであいつの人気が上なんだ!」
アクシデント
1993年ランキングトップで向かえた第12戦イタリアGP。ミザノはレイニーの
得意とするコースであり、3周目にトップを奪い、そのまま差を拡げていた。
しかし、11周目に高速コーナーで転倒。マシンから放り出され頭部からグラ
ベルに落下、第六頚椎損傷の重症を負いリタイヤ
レイニーの言葉
「僕は頂点に登り詰めたけど、好きだったスポーツで
(半身)不随になった。でも潮時だったってことさ」
その後、チームレイニーを立ち上げ、多くのグランプリライダーを育て、現在のモトGPの発展に貢献したライダーの一人 いまでもTV画面にたまに登場するので元気な姿を確認できます。
ブログタイトル変更しました。 B&Cボルドール 今後共宜しくお願いします。
ワイルドでいこうぜ―岩城滉一
L.A.―N.Y.バイク6500キロの旅 岩城がハーレーで走る。
風ヘ空ヘ大地へ
20年来の“夢”と“魂”を賭けて―バイクとアメリカ大陸に魅せられた男の
サバイバル・ドキュメント

巻末に「岩城・語録」があります。
一部抜粋
「女よりレースが好きかって? そういう次元じゃないんだよな。
同じ乗り物だったら、オートバイ乗りたいか、三輪車乗りたいか、
車乗りてえか、飛行機乗りてえか、船乗りてえか、女乗りてえか、
っていうところ」
オートバイが好きな有名人は多いけど ここまで貫く生き方は、
好感が持てます